地域の声
「関係性」というライフライン
宮城県本吉郡南三陸町 旭ヶ丘団地 行政区長
佐藤 良夫さん
南三陸町の資源循環事業の大前提となる「生ごみの分別」は当初、南三陸町内の一行政区(自治会に相当)での実証実験から始まった。舞台となったのは、海に面した志津川地区の高台にある「旭ヶ丘団地」と呼ばれる住宅地だ。同団地は眼下の志津川の街並みが津波で壊滅した直後から、多くの被災者を受け入れる拠点にもなった区域である。
※(本記事は2017年12月8日に発行した電子書籍「バケツ一杯からの革命」からの抜粋記事です。写真は旭ヶ丘団地での南三陸BIO視察の際のもの。)
実証実験の異物混入率は2%未満!
震災翌年(2012年)の12月からの2カ月間、環境省のモデル事業の予算を受けて実施された実証実験は、吐く息も白い早朝から始まった。集積所にはアミタのサポートスタッフが待ちかまえ、きちんと分別されているかの点検とアドバイスに備えていた。
「寒いのに、早くからご苦労さんだねえ」と、一輪車に生ごみバケツを載せて現れたお婆さんが笑顔で声をかけてくれる。さっそく中身を点検させてもらったところ、バイオガスプラントでは処理できない異物の混入は非常に少なかった。次々に持ち込まれるバケツの中身も同様だ。事前に分類方法を記した資料や住民説明会で案内してはいたが、実験を通じての平均的な異物混入率は2%未満という、極めて優れた成績だったのである。
旭ヶ丘団地の分別実証試験
実際にやってみると不安はすぐに解消されました
旭ヶ丘団地の行政区長(自治会長に相当)の佐藤良夫さんは、実証実験当時の様子を次のように振り返る。
佐藤さん:「分別の話が出た当初は、手間や臭いの発生を心配する住民も少なくなかったですよ。しかし実際にやってみると、すぐに直接的なメリットが理解されました。生ごみが分別されることで衛生的になるし、水分も切るからごみの重量も軽くなる。密封式の蓋付きバケツに入るから臭いも出ない。これはいいね、という感じでしたね。」
以前は町指定のビニール袋で出していたので破れて腐敗した汁が漏れたり、生ごみと他のごみが混ざり合ってしまいごみ全体が猛烈に臭くなり、かえって不衛生だったそうだ。
佐藤さん:「だから以前は、集積所周辺の住民から苦情が来ることもあったんです。でも分別するようになってからは苦情を一度も聞いたことがないですね。」
密封式の生ごみ用バケツは鳥獣のごみ荒らしやハエ・ウジ発生の防止にも役立つ。実施してみれば良いことづくめであることが理解されるのだが、分別回収の導入に当たって最初の関門になりがちなのが住民の「臭いや衛生面に対する不安や抵抗感」だ。自治体の担当者も、その点を心配して導入に二の足を踏むことが多い。
旭ヶ丘団地でも当初はそうした不安の声はあったのだが、実証実験後のアンケート調査では「ゲーム感覚で楽しく分別作業できました」、「自分の行動が少しでもエコにつながるという心地よさを感じました」、「生ごみが資源になるという意識が生まれました」といった意識面に関する肯定的な感想に加え、「分別することでごみ全体が衛生的になり、臭わなくなった」など、機能面でのメリットを感じている住民の声が多かったのである。
佐藤さん:「最初は、経験がないことへの不安もあったんでしょう。しかし実際にやってみると不安はすぐに解消されました。2カ月間の実証実験が終わった後には、もったいない、せっかく身に付いた習慣だから続けてほしい、といった継続希望の声が続出しましたからね。だからBIOができて分別回収が本格的に再開されたときも、実証実験の参加者はすぐに復帰しましたよ。」
「ごみ出し」が「住民同士のつながり」を生む「協働の営み」へ
佐藤区長は航空自衛隊を退官して郷里に戻った際、大量の生活ごみが域外の気仙沼市に運ばれて焼却処理され、灰が埋立処分されている状況に違和感があったという。
佐藤さん:「そんなやり方に税金を使っていいものかという思いは以前からもありましたね。ですから生ごみが資源化されて地域を循環するという構想を聞いた時に、住民として取り組みに参加したいという気持ちになったんですよ。」
実験期間中、参加住民の意見交換会も開かれ、分別に迷うものの判断を話し合う機会が増えた。やがて集積所が井戸端会議の舞台となり、住民同士のコミュニケーションが深まっていった。主に勤め人世帯が暮らす団地や新興住宅地では農山漁村のような共同作業の機会が少ないため、「ごみ出し」が日常の貴重な協働活動になる。こうした「協働の営み」が住民同士のつながりを生み、災害時の互助組織となるコミュニティの力にもつながっていく。実証実験の終了時に「やめるなんてもったいない」という声が住民から聞こえたのは、まさにこうした「住民同士のつながり」を心地よさや安心の源泉と捉えていたからではないだろうか。
人間にとって本当に必要なライフラインとは
このような分別作業を通じたコミュニティ機能の強化に加え、バイオガスプラントの生産物である消化液(液肥)の利用を通じても、地域住民の関係性が強まるという効果が生まれている。佐藤区長は次のように語った。
佐藤さん:「意見交換会で、庭の花壇や菜園で液肥を使ってみたいという声が出たんですよ。そうしたら実証実験の後に液肥の供給タンクを設置してもらえました。団地の住民は誰でも自由に利用できるものでしたが、見ていると実証実験に参加していなかった住民も結構、使っているんですね(笑)。でも、それでいいんです。なくなれば補充してもらえるので、自由に使ってもらっています。」
分別から生まれた液肥を使いたいという住民の声は、資源循環事業が本格化した後も地域に広がっている。これは単に「タダでもらえる肥料」という見返り(インセンティブ)としてではなく、自らが参加する「資源が循環する暮らし」を実感し、参加意欲(モチベーション)を継続するための重要なアイテムとなっているようだ。
佐藤さん:「たとえ自分で液肥を使わなくても、誰かが役立てているのを実感できればいいんです。町の広報誌でも入谷地区の田畑で液肥が活用されていることを紹介しています。朝市でも『液肥のネギだよ』と言われると、あ、そうなんだ、地域で使われて戻ってきたんだな、と感じられます。生産農家の名前を聞けば、大体は知っている顔です。それが求めていた夢の姿、最初に実証実験に参加した時に描いていたイメージです。それでまた嬉しくなるわけです(笑)。」
町内に設置している液肥タンク
震災発生時、高台の旭ヶ丘団地に避難した被災者たちへの炊き出しは団地内の各家庭の備蓄米だったが、わずか3日でどの家からも「うちで喰う米がない」という悲鳴が上がる状況となってしまった。自衛隊の支援体制が整ったのは震災から1週間後である。その間、孤立して食料も尽きた旭ヶ丘団地を支えたのは、山を越えて人の手で運ばれてきた入谷地区の山村集落からの握り飯だった。消防署も警察も行政も機能を失った災害時に文字通りの「ライフライン(生命線)」となったのは、ガスでも電気でも水道でもなく、農山村地域との関係性であったのだ。生ごみ分別から生まれた液肥の活用は、こうした市街地と農山村地域の関係性を強化するうえでも役立っているのである。
このような関係性に期待される役割は、単に災害時の緊急支援だけではない。市街地における暮らしの中で「農山漁村の誰かとつながっている」と思えること自体が心地よい安心感を育むからだ。それは地域の自然や「命のめぐり」の中で生きていることを感じさせてくれるものでもあるだろう。佐藤区長は、分別回収に取り組むことで住民の意識に浸透する様々な効果について、確かな手応えを感じている。
佐藤さん:「参加者は義務的な気持ちでやっているわけじゃないと思いますよ。分別の普及率は少しずつ上げていけばいいんだから、まずは始めることが大切だと思いますね。」
市街地と農山村集落の関係性を強化する循環型社会の構築。それは災害時には「生命を守るシステム」となる。人間にとって本当に必要なライフラインとは何かを、旭ヶ丘団地のカジノ ゲーム アプリは教えてくれる。
プロフィール
佐藤 良夫(さとう よしお)さん
宮城県南三陸町廻館・旭ヶ丘行政区長
1948年生まれ。地元志津川高校卒業後、航空自衛隊に入隊。2002年1月に退官後、同年4月から地元の特別養護老人ホームにて勤務。2011年東日本大震災で同所を退職。2010年4月から現職。現在は区長の傍らボランティアで現地ツアーのコーディネーターや案内役、震災時の体験を伝える講演などを行っている。